雨ニモ負ケズ

昨日の電話で、こひくんはこんなことも言っていた。
「傘を持っているにも関わらず、ささずに雨の中を濡れて歩いている人って、どうしてかっこよく見えるんだろうね?」
わたしは、この問いにこう返した。
「自然に逆らわないで生きてる感じがかっこよく見えるんじゃないかね?」
するとこひくんは、鼻息を荒くして(電話口がブォーヴォー鳴ってうるさかった)こう反論してきた。
「えぇ!?うそー!?えーっ!?俺は逆だと思う!自然に逆らってる感じがするからかっこよく見えるんだよ!」


…ちょっと整理してみようか。
わたしの言い分は、『濡れない方法を駆使して降ってくる雨に対抗したりしようとせず、降ってくる雨を甘んじて受け入れる。その姿勢がかっこよく見えるのではないか。』と、こういうことだ。
対してこひくんの言い分は、『これぐらいの雨降ってるうちに入るかよ!俺はこれぐらいの降り方じゃあ雨とは認めないね。傘だってさすもんか。悔しかったらもっと降ってみろ!という、雨に対する対抗意識がかっこよく見えるのではないか。』ってことらしい。


期せずして正反対の意見を持っていた二人。どうする?どうなる?一触即発の状態。
そこでわたしはこう言った。
「よし、わかった。じゃあこうしよう。日記にこのことを書いて、みんなはどっちだと思うか意見を仰ごうじゃないか。そうすれば、濡れて歩く人がかっこよく見える理由が解明されるはずだ。」
この意見にはこひくんも「よし、いいだろう。」と、鼻息を荒げたまま賛同してくれた。



でもよく考えたら、『そもそも一般的には、雨の日に傘もささずに濡れて歩いている人を見てかっこいいと思うのか?』という、根本的な部分に考えが至っていないことに、今気が付いてしょんぼりした。